(翻訳書表紙)

80対20の法則(発見者:R.コッチ他)

投入の20%が産出の80%を生み出す。

[解釈] 経営コンサルタントとして成功している著者が、オックスフォード大学時代に発見した「不均衡の法 則」。彼は、当時の学生主事から‘本の価値の80%が、ページ数にしてわずか20%の中に見出される’ことを教えられる。この法則を援用し て、20%の知識で各学科の試験に80点以上の成績を収め、みごと最優秀で卒業したと言う。 こうしたことは我々の社会でも日常茶飯事。 20%の犯罪者が80%の犯罪を犯し、20%のドライバーが80%の交通事故を起こし、そして20%の人たちに資産総額の80が%集中しているので ある。決して50%の原因から50%の結果は生じない――即ち、自然は均衡を嫌う、のである。

[注] これを裏返せば、物事に100%を求めず80%程度の達成で満足せよということ。さすれ ば、20%の効率的な努力の傾注で、そこそこの満足が得られるのである。そのためには、 自らを100%実現しようといったコダワリを捨てて、 他人の意見を20%程度は聞く耳を持つことも肝要となろう。
 また仮に、自ら弱者を任ずる人がいれば、20%だけ強気に出ることも勧めたい。 これこそが、他人からの脅威を80%減ずる近道、なのである。


(ヘレナ・ルビンスタインHP)

悲観論逆説の法則(発見者:M.ガンサー)

幸運な男女は不運な人に比べて、人生では予測も予防もできないような出来事が、突然起こり得ることをはるかによく理解している。

[解釈] 悲観的な人間ほど、実は幸運をつかみ易い、という逆説的法則。即ち、常に最悪の事態を想定してお けば、有事に最善の策を講じ得る、という納得の教えである。
 この法則を実践した有名人といえば――ヘレナ・ルビンスタイン(曰く「ス キンクリームの誤った使用法が有れば、必ず誰かが発見する」)、ポール・ゲティ(曰く「事業を始めるにあたって、もしうまくいかなか ったらどう対処すれば良いかを最初に考えます」)、マーサ・ミッチェル(曰く「人生とはつるつる滑る石鹸のようなもの。つるりと手か ら落ちてしまう」)等。もっとも最後の例は、旦那(ニクソン)がかのウォーターゲート事件で失脚した後の感想。人生が「滑り易い石鹸」 とならぬよう、せいぜい自戒したい。


( 1897-1962)

フォークナーの仕事の法則 (発見者:W.フォークナー)

人が八時間続けられるもの、それは仕事だ。

[解釈] 難解をもってなるノーベル賞作家フォークナーの、意外とユーモラスな一面を伺わせる言葉。その前段を 紹介すれば、「人は八時間食べていられないし、八時間セックスしつづけもできない。八時間続けられるもの、それは…」という次第。そして 「それ故に人はかくも不幸なのだ」と嘆じるのである。南部人(それはまた、全人類の象徴でもある)の意識の流れを描くのに骨身を削っ たフォークナーの言と見れば、よりいっそう胸に響くものがある。
 なお、かく言うフォークナー自身の理想の仕事は、売春宿の親爺だとか。真意は兎も角、なんとなく納得させられる回答である。(実際にフォー クナーがありついた最も割りの好い仕事は、ハリウッドの脚本家。『パリ・レビュー』誌の有名なインタビューで、彼はそのころの滑稽な 体験を披露している。即ち、MGM社より、彼の住所を至急教えよ、との電報が届いたので、早速「カリフォルニア州カルヴァー市…番地 」と言う電文の無い電報を打とうとして、断られたという話である。ほら話好きのフォークナーらしいエピソード。)
(「響きと怒り」原書)

[注] その神学的作品群の、我が国での最も良き理解者は、(同じキリスト者の)小川国夫で あろう。特に、初期の傑作『響きと怒り』で兄クエンティンが妹キャンダシーとの近親相姦幻想に悩み、ついにボストンのチャールズ川に 身を投げる場面の解釈が、出色である。地元アメリカの論者ですら「滅びゆく南部の象徴」・「禁断の愛からの逃亡」といった解釈に停ま っているのに対し(それも確かにあるが)、小川は、兄を愛したキャディーが、その兄が最も欲したこと、すなわち「死」に向かって彼を 導いたのだ、と指摘する。その放蕩・結婚・出産などの全てが、兄を死に追いやることを、彼女は無意識の内に悟っていたと言うのである。 そしてこの視点によって初めて、次の二人の会話が深い意味を帯びることになる。

 キャディ
 あたしにさわらないで お願いだから約束して
 もし病気ならお前は結婚なんかできないよ
 いいえできるわ ねえ約束して
 約束するよ キャディ キャデイ
           
  (『響きと怒り』高橋正雄訳)

そして、すいかずらがしきりと降り注ぐ中、「宿命の妹」は川に向かって愛する兄の背中を押すのである。


フイネイグルの法則 (発見者:W.フイネイグル)

実験で狂う可能性のあるものは必ず狂う。

[解釈] 後掲「マーフイーの法則」の科学者版。なお、これに科学者の傲り が加わると、次のような信条が生まれる。 「科学は真理である――事実に惑わされてはならない」 これすなわち、‘事実’関係を無視して、自らの発見した法則こそ ‘真理’と主張する科学者をからかったもの。
 なお、このフイネイグルの法則をサカナに読者より同種の法則を募集したのが、かの「アスタウンデイングS F」誌のJ.W.キャンベル編集 長。「簡単に見える時は厄介。厄介に見える時はほぼ不可能」なんて悲観的法則が、二年以上もの間投稿されてきた、と言う。S Fと 成功法則というのは、意外と付け合わせが良いのである。

(「Battlefield Earth」)
[注] S Fと人生法則という意味では、前掲「殺人者の法則」「スタージョンの法則」「『生命と宇宙と万物の答え』の法則」など、当ホ−ムページにも 数多く登場。この他、思いつくままに掲げれば――、

  • お金の悪口を言うな。(ハインライン「月を売った男」)
  • 解決法は何でもよいが、安全弁は設けるべき。(ヴァン・ヴォクト「宇宙船ビーグル号の冒険」)
  • 努力しないで成功するには、麻薬を飲んでハッピーになればよい。(ミード「X.P で幸福を」)
等々。最後はチョッと眉唾だが、他は比較的まとも。
 そしてこうしたS F作家と成功法則の究極の合体(?)が、L.R.ハバードの「ダイアネ テイックス理論」である。この理論を簡単に言うと「全ての精神的障害は、無意識のうちに(特に母親の胎内にいる間に)味わった トラウマ(ハバードはそれを‘エングラム’と名付ける)によって引き起こされる。従って、そのエングラムをダイアネッテイックス療法 によって消し去れば、人の能力は最大限発揮される」というもの。これこそ眉唾、という感じだが、実はこのダイアネテイックス関連の著 作は、世界中で1600万部も売れ、17の文学賞も受賞しているのである。そして俳優のJ.トラボルタやT.クルーズもその信奉者で、 ハバード原作の「バトルフイールド・アース」がトラボルタによって制作・主演されたのも、そうした背景があるためだとか。さらに彼 の治療を受けた最初の患者の一人が、副鼻腔炎に悩むJ.W.キャンベルであったとなると、この理論、そう簡単にトンデモ科学とも言い切れない のであった。

(1918-79)

福永武彦の「愛の逆説」の法則 (発見者:福永武彦)

人は、憂いを帯びた麗人より快活な少女を愛する。

[解釈] 作家・ 福永武彦には“病弱なる孤高の文学者”といったイメージが先行するが、実は交友関係も多彩 (級友中村真一郎、療養所仲間結城晶治、定型詩運動グループ加藤周一等)で、先輩方(堀辰雄高村光太郎等) にもけっこう可愛がられた形跡がある。つまり一般の社会人、いやそれ以上に人付き合いの良い常識人ではなかったか、と思われる。そう考えた時、世評高い中篇『廃市』の“甘美などんでん返し”にも納得がいく。そのどんでん返しとは――

大学生の夏休み、‘僕’は卒業論文を書くために「水の多い、ひっそりした、歴史の中に取り残されてしまったような小さな町」 を訪れる。紹介された旧家に落ち着いた彼は、主人直之とその妻の妹で快活な安子に出会い、美貌の妻郁代が、 何故かお寺の座敷に引き籠っているのを知る。そして憂い顔の郁代は‘僕’に、夫は自分の妹安子を愛しているので私は身を引いたのだ、と告げる。 その後、直之が「疲れた」という遺書を残して自殺。そして夏の終り、安子に見送られてこの‘死の町’を離れるとき、‘僕’は忽然と、 直之が愛したのはやはり安子だった、と悟る。さらに、‘僕’もまた安子をを愛していたことに気付くのである。「大して美人でもない、快活で、 よく笑って、泣き虫だった」安子こそ、直之の、‘僕’の、そして多分作者の愛する永遠の妹なのであった!

この
憂愁の姉から快活な妹へ、というどんでん返しには、正直驚かされた。しかしよく考えてみると、死の影に怯えつつ交友関係を広げた福永にとって、この愛の逆説は自然な心の流れだった、とも思われる。社会人としても生きた詩人(厳しい大学教授だった、という)は、不毛の自閉より開かれた快活を求めたのである。

[注] 福永は芸術全般に造詣が深く、 その書斎の壁には印象派の画家ベックリン『死の島』 の複製画(下図参照)がかけられていた、という。この画の静謐さは、晩年の大作『死の島』 の基調低音でもある。



(1920−98)

「憤怒」の法則 (発見者:L.サンダース)

人は一つの裏切りには耐えられるかも知れぬ。だが二重の裏切りには怒りの鉄槌を下す。

[解釈] 老練なるミステリー作家ローレンス・サンダースが、大罪シリーズの掉尾を飾る佳作『憤怒の殺 人』で述べた‘殺人に至る憤怒’についての分析、である。‘神々しいほど美しい’臨床心理士の妻は、優しく温和な医師の夫をハン マー(!)で撲殺する。この理想的な美男美女カップルに、一体何が起きたのか? この男女間の深い謎を、大罪シリーズの探偵役・デイレイ ニー署長は、次のように読み解いてみせる。

 「(夫は妻に)美貌など皮一枚だけのものだと言いつづけた。妻はそれを受け入れ、職業人として成功した。ところが、ふと気がついて みると、夫は別の女に眼を奪われていた。夫は浮気しただけじゃない。自分が言ったことを自分で全て否定したんだ!

 容貌は生まれついての幸運で大事なのは頭を使うことだ、と諭され、その通りに努力した妻は、その美貌だけでなく自らの努力全て を、諭した本人から否定されてしまう。この二重の裏切りを知った妻は、凶暴な怒りにかられ、ついには‘私より美しいものを見るこ とはできない’ようにと、夫の目をハンマーで叩き潰すのである。
 なおデイレイニーは、男女間の心理の機微について、もう一つ付け加えている。

 「(美人で金持ちの妻を持った)夫は、しばらくしたら、うんざりしてくる。自分を全能の神のように思ってくれる平凡な女の方が、 むしろ好ましく思えてくる

 言われてみれば納得、の浮気心。かくて夫は、なんの才能もない平凡な女に奔り、それがまたプライドある妻の怒りを増幅させることに なるのである。

[注] ローレンス・サンダースは、50歳の時『盗聴』でデビュー、という遅咲きの新人。 だが、大罪シリーズでブレイクし、その後、年一作のペースで大作を発表し続けるブロック・バスター作家、となった。その長編作法は「毎 日一枚ずつ書くと一年で365ページの小説ができあがる」というもの。なにやら、当ホーム・ページ冒頭に紹介した 野上弥生子の覚悟、に相通ずるものがある。


(老人・江分利満氏)

「ボケ防止」の法則 (発見者:都老人研究所 他)

「ボケ防止」のためには、@脳の3機能(計画力、エピソード記憶、注意分割力)を鍛錬する、 A鍛錬の目標を少しだけ高めに設定する、B軽い運動の習慣をつける、C血流を良くする食事(魚、野菜、果物)を摂る、Dよく眠る、ことを心がけねばならない。

[解釈] 老齢化が急速に進む我が国の喫緊の課題の一つが、「老人の痴呆問題」である。イラストに掲げた山口瞳氏の絵姿も、自ら、父の老耄振りに苦労した果ての「健康な隠居志願」と見れば、身につまされるものがあろう。
 この「ボケ」への対症療法として、東京都の老人問題研究機関は、まず@人と会話することが有効である、と説く。相手の反応に注意しながら、過去の体験をわかりやすく
話すことが
・物事を実行する順番を考える「計画力」、
・出来事を覚える「エピソード記憶」、
・同時に複数のことに気を配る「注意分割力
の3つの働きを活性化するのである。
 次に、Aその訓練の目標を、「少し努力が必要な程度の難しさに設定すること」
も肝要である。エピソード記憶を鍛えるために、日記を欠かさずつける、などはその好例であろう。
 また、B継続して運動することも必要で、一日30分、一週3日以上の早歩きで、痴呆発症率は半分になる、と言われる。
 C食事は、魚油に含まれるDHA(ドコサヘキサエン酸)、EPA(エイコサペンタエン酸)が、血栓をつくるのを防ぐ作用があることから、サンマなどの青魚を焼かないで食べること、が推奨される。
 さらにDぐっすり眠って、頭をスッキリさせることも、ボケ防止の効果的方法である。
 そしてもっとも重要なのは、これら@〜Dの努力を継続し、
習慣になるまで長続きさせることである。ボケが、ひとつの生活習慣病であるなら、それを防止する努力もまた、習慣化されねばならないのである。
[注] これらは、前掲「『数字の教える』人生法則」中の“天寿を全うする方法”とも一脈通ずる心がけ、と言える。バランスの取れた食事、適度な運動、そして規則的な生活習慣こそが、幸福な老後をもたらすのである。


(1930-)

フリードマンの「使命」の法則 (発見者:B.J.フリードマン)

死にゆく者には、全てを与えよ。

[解釈] B.J.フリードマン(Bruce Jay Friedman )は、アメリカのユダヤ系小説家、戯曲家、そして俳優でもある。
 我が国への初紹介は『マザーズ・キス』。教育ママと保護過剰の少年とが織り成す悲喜劇をユーモアたっぷりに描き、その背後にあるユダヤ家庭の母子問題も考えさせる佳品だった。
その後、『スターン氏のはかない抵抗』、『刑事(でか)』の2長編、および短編集『黒い天使たち』と戯曲『スクーバ・ドゥーバ』などが相次いで紹介されたが、そのユーモアが穏やか(ブラックというよりホワイト・ユーモア)だったためか、反響はイマイチ。ただ評者は、彼の描く
“ユダヤ型駄目人間”の主人公に、おおいに共感するところがあった。
本法則はそんな彼が、傑作短編『使命』(短編集『黒い天使たち』所収)で開陳した密かな信念。 「小柄できびきびした男」が、アフリカ中に3〜4頭しかいない「シャ−プかもしか」(これ、作者の想像上の産物)を探し出し、その舌をフランス一の老コックに調理させる。そして、その貴重品を、処刑の前の最後の料理にと、望んだ死刑囚(!)に届ける、というお話。死に行く囚人の最後の晩餐のために、困難を乗り越えてその望みを叶えること、これが男の「使命」なのであった。 ヘミングウェイは「勝者には何もやるな」と主張したが、我がフリードマンは「死に行く者には、全てを与えよ」と静かに訴えたのである。

[注] フリードマンは、戯曲家でもあったことからハリウッドと縁が深く、ウディ・アレンと仕事をしたり、『スプラッシュ』の脚本も書いたりしている。驚くことに俳優にも挑戦し、T.ハンクス、M.ライアン主演のラブコメ『ユー・ガット・メール』にもチョイ役(役名はVince Mancini)で出たりしている。我が国の誇るスプラッタ・コメディの大家・筒井康隆にも似たような性癖があるが、洋の東西を問わず、天才的ユーモア作家には「俳優が天職」といった思い込みがあるのであろうか?



(1966-)

星野博美の「人生喪失」の法則 (発見者:星野博美)

生きることは失うことと同義である。

[解釈] 大宅壮一ノンフイクション賞を受賞したエッセイ『転がる香港に苔は生えない』の著者・星野博美氏の潔い覚悟。
 時の流れの中で、人は否応なく様々なものを失っていく。愛した猫たち、親しかった友人たち、そして幼き日を共に過ごした親戚たち…。かけがえのないものは皆、
いつの間にか失われていく。まさに生きるとは、そうした大切なものを失うことに他ならない。そしてその「喪失」の究極の形が、自らの「死」なのだと、星野氏は言う。
 だがこの断定には、優しい留保がつく。すなわち「喪失」とは、実は何かを持っていたことの証だ、ということ。失うことはプラスでもマイナスでもなく、確実にかけがえのない何かを持っていたことの結果、なのである。「喪失」とは、自分が持っていた豊かさの裏返しであり、すなわち自らの人生そのもの、と言ってよい。

[注] 星野氏はもともと、アシスタントから出発したフリーの写真家。生の一瞬を切り取ることが職業の人間の眼には、その定着した一瞬の儚さが見えてしまうのであろうか。
 ここで、氏のエッセイ『のりたまと煙突』からもう一つ名言を挙げれば、
一人の人間は、いつだって多数には太刀打ちできない
スポーツセンターで、厚かましいおばさんに対した時の、氏の哀しい感想。平日の昼間、スポーツセンターにはおばさんしかいないのであった。
 なお「喪失」については、先輩・田口ランディ氏も「自らの一部を失った故の狂気」と言及している(前掲「喪失の法則」を参照)。こうした喪失感はやはり、男性より女性の方が切実なのである。