(「自画像」 by 橋本氏 )
当たり外れの法則(発見者:橋本治)

人生には当たり外れが有るんだよ。

[解釈] 「何故払はこうも不幸なのでしょう?」(23才.OL)という人生相談に対する橋本氏の回答がこれ。安易な 相談をもちかけた女性に対し、この答えはいささか残酷。ただ根つから不運な人には、反ってこの言葉が優しい響きを持つことも、聡明な回答 者は計算済みだろう。「君は外れ」と自らを客観視させることによって、絶望の縁でもがく自分自身を冷静に見つめ直させようとする試み― ―これが橋本流ショック療法なのである。
 ラディカルな優しさは、時に残酷な響きを持つ。

[注] この過激なる人生相談は、『親子の世紀末人生相談』(フィクション・インク社)という一冊の本に纏め られている。人生相談本としては類書を遥かに圧する労作と言ってよい。また、最近の著者は、三島由紀夫の謎を分析。この鬼才の精神構造を「塔の中に幽閉された王子の心境」と断じて、相変わらず歯切れが良い。 特に、三島が憎悪したのが(有名な‘蟹’だけではなく)松本清張だった、という指摘には蒙を啓かれた。子供の心を持つ王子にとって 、憎むべきは清張に代表される「大人の俗っぽさ」だったというのは、言われてみれば尤もである。なお清張も三島が嫌いだったようで 、その死を「才能の枯渇」と主張して譲らなかったそうな(元編集者・宮田毬栄氏の回想)。これもまた見事な憎みっぷり、ではある。


アメリカ・ビジネスマンの成功法則

(発見者:G.カプラン)

成功の秘訣は、自分の職場で物事がどの様に進んでいるか、自分に何が期待されているか等を最低限知っておくことだ。

[解釈] 3年間に300人のビジネス・エリートにインタビューした結果がこの通り。アメリカのトップ・エグゼク ティブが何を考えているのかが伺えて興味深かったが(但し、少し未整理)、その結論は意外と常識的。これは『エクセレント・力ンンパニ ー』、『パーフェクト・カンパニー』といった優良企業分析本でもほぼ同じ。企業家族主義の我が国以上にアメリカ・ビジネス界が企業至上 主義であるのが面白い。
(常識人ハンソン 1939-)
そう言えば、常識人イーデス・ハンソンが「(アメリカでは)プライベートはプライベート、ビジネスはビジネスと割 り切って休日や夜に上役の家を尋ねたりしないというのも、あれ嘘だね」(イーデス・ハンソン+深田祐助著『私の日本・私の西洋』文春文 庫)と、アメリカ人の‘気配り’についてコメントしていたのを思い出した。異民族国家のアメリカの方が、より気配りが必要と言うのは、 当然と言えば当然か。

[注] 一時評判になった大部なインタビュー集『仕事!』(スタッズ・ターケル著・昌文社)は、 本書の庶民版といったところ。ホワイトカラーよりブルーカラー、男より女の方が威勢がいいのは、インタビューワーの姿勢によるものか。 その最も印象的な一節:ウエートレス「落としたフォークを取るのにも格好があるのよ。私は舞台の上にいるんだからあ」――見事なプロ 意識である。


(アン・ランダースおばさん)

アン・ランダースの成功法則(発見者:アン・ランダース)

Success is to know that you have enriched the life to even one person. (わずかひとり分の人生であれ豊かにしたと感じること、 それが成功と言うものです。)

[解釈] 突然英語が出てきて驚かれたと思うが、これは編者の読んだのが対訳本だったため。原文の味を知るの も如何かと揚げてみた次第(まあ、たいした名文とも思えないが)。アン・ランダース女史は千紙に上る新聞と七千万に及ぶ読者の圧倒的な 指示を得た‘身の上相談コラムニスト’。その相談は我が国のそれが磨り硝子越しの暗い悩みごとであるのに比し、よリドライかつラ ディカル。
 「結婚して5年になりますが、夫以外の女性(!)に引かれるのですが…」なんてレズっぼい投書もあり、アメリカ性革命の進行振りをも伺わ せてくれる。なお、この質間に対する女史の回答は「ぜひカウンセリングを」というもの。あまり親身でないところがいいじやありません か。

[注] 女史が身の上相談を始めて、早や30年。その回答は、何よりも実務的、実用的と評される。朝日新聞のインタビューに答えて、これか らは恐らく老人問題が最大のテーマと言い切る勘はさすがに鋭い。なお、もう一人日本に紹介されている身の上相談のプロが 「コスモポリタン」誌のイルマ・クルツおばさん。アンが平凡な主婦の代表なら、こちらはキャリア・ウーマンの代表選手。でも、その回答 の楽天性は驚くほど似通っている。‘すベての問題は必ず解決できる’−−これが彼女達の明快な回答を支える信念なのである。


「イリュージョン」の法則(発見者:日高敏隆、ユクスキュル)

すべての生き物は何らかの「イリュージョン」を持たない限り、世界を認識できない。

[解釈] 日高敏隆氏は、著名な動物行動学者。後掲の天才・竹内久美子女子の先生でもある。
 その日高氏が、ドイツ動物行動学の先駆者・ユクスキュルが唱えた「環世界」という概念を手がかりに、生き物すべてに通ずる「認識の方法」を述べたのが当法則である。ここで「環世界」(Umwelt)とは、「周りの世界、それも主体が意味を与えた周囲の世界」の謂である。ユクスキュルは、この「認識の方法」の一例を、次の有名な「
ひとつの部屋を、人間と犬とハエはどのように認識するか」という絵で説明している。
        


  すなわち人間が部屋の全てを認識するのに対し、犬は、まず食べ物、飲み物に関心があり、そして彼らの「友達である人間」の座る椅子に少し関心を払う程度(従って、灰色に認識)。一方、ハエは、ひたすら食べ物、飲み物にのみ関心があり、後は、光に向かう習性があることから電灯の輝いていることがわかるだけ、という次第(というわけで、上図はハエが見た室内である)。つまり動物は、周りの環境の中から自分にとって意味のあるもののみを認識し、その意味あるものによって自分たちの世界を構築している、という考え方であり、この世界を認知する手立てを、日高氏は「イリュージョン」と名付けるのである。
 この「イリュージョン」は、動物全てに共通のものだが、ただ人間の場合は、「論理」を組み立てて「イリュージョン」を構築するところが、他の動物と大いに異なる(従って、目に見えない世界も構築できるし、「天動説」から「地動説」のように世界観の変更も可能である)。そして日高氏は、このイリュ−ジョンを生み出すものは「極言すれば、神経系」だと宣うのである。
 なおこの考え方は、カントの「唯心論」にも通じるが、ユクスキュルがこの説をを唱え始めた頃は唯物論が支配的であり、そのため当時の科学者仲間では、頗る評判が悪かった、という。

[注] この「イリュージョン」という考え方は様々に応用でき、かのドーキンス教授の「利己的遺伝子」説も、「進化論」仮説に取って代わった「イリュージョン」のひとつとなる。


(1885-1985)

一日一枚の法則(発見者:野上弥生子)

一日一枚原稿を書けば、一年で365枚になる。

[解釈] まあ、当り前と言えば当り前なのだが、これを御年百歳の野上弥生子が言っていたとなると話は別。 北軽井沢に一人住んだ「世界文学史上稀有の現役作家」(中野孝次評)が自らの明治の青春を‘一日一枚’づつ書いて、大作『森』の完成直前 にまで達した、という事実。その営々たる努力に思いを至さねばならぬ。
 そして、そんな著者の90歳を過ぎてからの感想―――「地殻を一枚めくれば長く親しんだひとびとの亡骸が累々と横たわっていそうで、 時に悄然となります。」(「山よりの手紙」)
 この暗い孤独の中でなお一日一枚書き続けた著者の心というのは一体どうなっていたのか。 凡人の想像を絶するものが有る。

[注] 著者は、S60年3月30日、百歳の誕生日を前に大往生。あと数十枚も書けば終わり、と 担当編集者に語っていた大作『森』は、ついに未完のまま終わった。だが、終始、野上を支持してきた批評家・故篠田一士は「これを、完成 された長編小説に見合うものとして読むことは一向に差し支えない」(本書解説)と保証する。ここはひとつ、その言に率直に従つておきた い。


意思決定の法則(発見者:ノイマン/モルゲンシュタイン)

無知の状況下では、ミニマムな利得が最大になるような方法を選ぶべきである。

[解釈] かの「ゲームの理論」の基礎。いわゆる‘ミニ・マックスの原理’として知られる方法である。簡単に説 明すれば、これから出掛けるというとき雨が降りそうだが傘を持って行くべきかどうか、といった問題を解決するために使用。数字を 使った一つのモデルを掲げれば、次の通りである。

[傘と天気の利得行列]
X Y
a 1 8
b 10 0

枠内の数字が各選択肢(a.傘を持って行く、b=傘を持って行かない)を選んだ時の各状態(X=雨が降らない,Y=雨が降る)での利得を示 す。ここでミニマムが最大(上表では「」)な選択はaであるのでゲームの演者はaを選ぶ、という訳。
 しかし、この‘ミニ・マックス戦略’が選択法の全てであるかと言えば、そんなことはなく、これでは余りに悲観的ではないか、という 反省から生まれたのが‘マクシ・マックス戦略’である。これは、利得行列の中で何しろ最大の利得(上表では「10」)を得られる選択肢を選べ、とする強気 の方法である。まあ、一か八か、といったギャンブル的基準。これによれば、勿論、bが選ばれよう。
 そしてもう一つの考え方は、機会損失の観点を導入。ああ、あちらを選んでおけば良かった、という後悔を最小にする、という戦略で ある。名付けて‘ミニマックス・リグレット戦略’。かくて、結果は3通りの選択が可能。無知の状況下での意思決定と言っても、なかな か手強てごわいのである。


  [注] と、言っていても始まらないので、一応の結論を出して置けば、状況が全く不透明で悲観的な場合は‘ミニ・マックス戦略’を、そして 自分が結果を気にするタイプと思われる方は‘ミニマックス・リグレット戦略’を、各々選ばれるが宜しかろう。尚、この‘ミニ・マックス 戦略’を文章化したと言ってもいいのが後掲の「悲観論逆説の法則」。そして、これらの戦略を日常的に布衍したのが、やはり後に出てく る「ラプラスの法則」である。ご参照あれ。


(1889-1951)

ヴィトゲンシュタインの「神と他人」の法則(発見者:ヴィトゲンシュタイン)

神の存在を確信をもって信じることができるなら、他人の心の存在も信じることができるのではないか。

[解釈] 没後編集された手稿集『反哲学的断章』の内、1948年に書かれたメモの一節。20世紀を代表する‘天才哲 学者’ヴィトゲンシュタインの、最晩年の思索である。
 自らは他人になり得ない故についに他人の心の存在を信じられない、と嘆く現代人に対し、ヴィトゲンシュタインは、神への信仰がその現代 的懐疑を癒すのではないか、と予感する。既に病魔に犯され余命僅か3年の彼の眼には、現代人の孤独な闇を照らす仄かな天上の光が、見えてい たのであろうか。

[注] 若きヴィトゲンシュタインは、ラッセル、ムーアという英哲学界の巨人に対し「(『論理哲学論考』を)説明してあげても、あなたがたにはわ かるわけがない!」と言い放った、という。そんな天才が極限まで考えた思索が一朝一夕に‘わかるわけがない’ので、その論理学への評者なり の解釈は、遠い将来の宿題としたい。今はただ、「ある人が書いたものが偉大であるかどうかは、それ以外にその人が書いたもの、またその人の 行動すべてによって、決定される」と書いたヴィトゲンシュタインの覚悟に共感し、残された‘簡潔で風通しの良いアフォリズム’(丘澤静也) を味わうのみ、である。


(妻の愛車・ボルボ)

運転免許取得の法則(発見者:矢原秀人・茂原勉 他)

@良い教官に当たること、A良い参考書に当たること、の二つが免許取得の早道である。

[解釈] 編者が中年に至って免許を取得した時の、実感的法則。
 @教官次第でどうにでもなる、とは些か投げ遣りだが、その様な教官に付けるよう事前の策を怠りなく、とのアドバイスとお考え頂きた い。特に編者は、教習所通いの最中に『自動車教習所殺人事件』(中町信著)なる佳作ミステリーを(誤って)購人。そこに次のような描写が あり、ますますその感を深くしたのである。


教官:「あんた、この状態で車が動くとでも思ってるの?」
人妻の生徒:「あの……」
教官:「ギヤだよね.ギヤがはいってないでしようが」

 まさに、身につまされるとはこのことか。そしてAは、教習所の教本以外にこれはと思う参考書を読んで自信をつけよ、の意。普通の学 校でも、参考書を読んで他人に差をつけた気になることが効果的な場合が有るが、まあ、その手の心理作戦である。そうした自信を植え付 けつけてくれる良書としては――『(普通免許)実地試験は難しくない』(茂原勉著)、『教習所では教えない実践ドライブ・マル秘ポイント』 (矢原秀人・久保島武志共著)など。「車幅間隔としては、左前輪はボンネットの中央部、右前輪はフェンダーミラー下部と覚えよ」「カーブ の中に直進の慣性をもちこむな(=カーブの前にブレーキを!)」「バックは誰でも経験不足」といった指摘に、蒙を啓かれる初心者も多いので はなかろうか。

[注] と言いながら、編者は相変わらずのペイパー・ドライバー。当法則もあまり信用され ないのがよろしかろう。


(宇野千代 by 北原武夫)

宇野千代の法則(発見者:宇野千代)

人間は、実は、人間という動物なのです。

[解釈] 晩年に至つて一種のブームの様相を呈した宇野千代の、含蓄深い人生論の根本。人間は動物、従って、 その動物的カンによって行動せよ、という実に単純な教えである。それで失敗したらどうするのか、と問えば「忘れておしまいなさい」とア ッサリ回答。齢八十にしてなお闊達かつ自在な精神には感服の他は無い。
 東郷青児、尾崎士郎、北原武夫といった才能有る美男子(!)達のハートを掴み、またスタイル社の女社長として君臨した女性。言わば、現代キャリア・ウーマンの偉大なる先達である。この法則、そんな先達が辿り着いた心 境と見れば、−層感慨深いものがある。

[注] その波乱万丈の愛情生活を回想した次の発言にもご注目を。同じく恋愛巧者の瀬戸内晴美との対 談での心情吐露である。

瀬戸内:別れるとき、思い切りがいいですね、先生。
宇野:ええ、思い切りがいいっていうより、観察するのかな。私は一生のうちで追っかけていったことはない。追っかけないというのが恋愛 の武士道だと思って。(瀬戸内晴美対談集「すばらしき女たち」)

 この‘武士道’ってのがいいじやありませんか。なお、この人生の達人が尊敬してやまないのが、前掲の野上弥生子。「野上先生は強いん だ。強い。強いんだ、もう」と率直に告白している。達人女性同士のみがなし得る、深い心の交感である。


(グリンダー&バンドラー)

NLP(神経言語プログラミング)の法則(発見者:J.グリンダー&R.バンドラー)

願望の実現後を想像すれば、「無意識」が現在の自分を"目標を手に入れて当然"と思い、その結果、 願望が向うからやって来る(これをNLPでは「OUTCOME アウトカム」という)

[解釈]  NLPとは、Neuro-Linguistic Programming 「神経言語プログラミング」の略で、’70年代にJ.グリンダーR.バンドラーの両博士によって基礎理論が確立された心理学的手法。当時、心理治療の天才といわれた3人のセラピスト(ゲシュタルト心理学F.パールズ、催眠療法M.H.エリクソン、家族療法V.サティア)がいたが、その“治療成功法”を検討して導き出された方法である。
その前提として両博士はまず、脳には3つ
「基本プログラム(=思い込み)」 があると考えた。すなわち、@脳は空白 (=わからない状態)を埋めようとする 「空白の原則」:例えば度忘れたした事を思い出そうとする等)、 A意識は同時に2つ以上のことをとらえるのが苦手 「焦点化の法則」:後掲「『同時に二つのことをする』法則」中の「カクテルパーティー効果」はその心理学的解釈である)、B脳は快を求めて痛みを避ける 「快・痛みの原則」:快につながると脳は最大限に働く)の3プログラムで、 これらプログラムの根底には“安全で安心でありたい”という欲求がある、とする。一方で「無意識」 の特徴も同じく3つ挙げており、「無意識」は@「いま・ここ」という概念しかない Aどんなときにもその人を守るB否定形を認識できない、としている。
これらを総合して導き出されるのが上のNLPの「法則」で――
脳は未来のことを考えるのが
【B快い】ので願望の実現後を想像しやすく、その結果「無意識」は "実現後"と"現在"との間の【@空白を埋めようと】して、現在の自分が目標を【@手に入れて当然】という感覚を持つ。そして今の自分を【B否定形ではなく】どこまでも肯定すれば、願望が向こうからやって来る――
ということになるのでありマス。
(NLP初紹介本)

ここで「願望の実現後を想像する」ことを、NLPでは 「メタ・アウトカム」「アズ・イフ・フレーム」("まるで目標ができたような観点"というところか)といい、この考え方こそが当法則の“ツボ”と言ってよい。
この他、脳の「基本プログラム」から導き出される注目すべき法則を2つほど掲げる。
・脳は
「A同時に2つ以上のことを考えるのが苦手」なので、 自分を「一般化」して考えがち。例えば、ひとつの失敗で 「自分 は仕事ができない!」などと決め付けてしまう危険性があるので注意。
・脳は
「快を求める」ので、「短所克服より長所伸展を優先」する。従って、短所改善に苦しむより、先ずは長所を伸ばすことに努めればよい。なお、こうして快い気持ちを続ければ“長生き”もでき、一挙両得なのだそうな。

[注] 後掲石井裕之氏は その「『心のブレーキの外し方』の法則」で、「無意識」は「いつまでも考え続け、 今この瞬間しかない」とし「根拠のない自信があればいい」と主張するが、これは当理論の「脳@」「 無意識@」及び「無意識B」に各々相当している。同じく後掲ひすいこたろう氏は 「『時は癒す』の法則」で、「脳は合理的な理屈を勝手に見つける」として「脳@」の考え方を踏襲。さらに「未来から逆算して現在の行動を決定せよ」というが、これは殆どNLPメタ・アウトカムの考え方と言ってよい。 これら(石井氏、ひすい氏の考え方)はNLPとどちらがオリジナルかということではなく、人生の成功法則を突き詰めればだいたい同じところに行き着く、ということであろうか。
(大ベストセラー!)

というのも古典的な自己啓発本『成功哲学』の中に、(NLPも含め)これらの考え方の萌芽と言うべきものが認められるからである。著者ナポレオン・ヒルは、朝夕「私は、必ず成功する/私は、必ずやり遂げる」という宣言文を唱え続ければ、成功間違いなしと保証するが、これこそ「無意識」への“自己肯定のスリ込み”に他ならない(現代の「成功法則」はそれを我々に納得させるため、より複雑な衣装を纏うようになってはいるが)。
なお、「無意識B」の“今の自分をどこまでも肯定する”は、後掲「持続の法則」の 「小さな自惚れ」や「無根拠な自信」でも採り上げられているし、“意識より無意識の方がパワフル” というのは
川北義則氏の「逆転の法則」でも強調されている。ことほど左様に、NLPは「成功法則」の基本的考え方の宝庫なのである。


(翻訳書表紙)

追い歯効果の法則(発見者:M.ガンサー)

状況が悪化して不運が姿を現した時、追い歯(歯車の戻りを防止する装置のこと)をかけて動きがとれなくなる前に脱出するのが「幸運」 を穫得する秘訣である。

[解釈] 名著(と言ってよいと思う)『運・その別れ道』の、印象的な成功法則の一つ。ガンサー氏はその永年の観 察によって、幸運な男女は、不運がさらに不運を招く前にそれを捨てる方法を心得ていることを発見。その好例としてスイス人銀行家の次 の一言を紹介する――「もし虎と綱引きをしているのならば、腕を噛まれる前に虎に綱を与えるべきです。負けることはわかっているのです から。新しいロープならいつでも買うことできます」 突飛な例だが‘虎’がかなわぬ相手・取り返しのつかぬ事態、を意味していると見れ ば、言わんとしていることは明快。素早い撤退が次の不運を回避させる、という教えである。
 そして、その逆の例として挙げられるのが‘生れながらの敗者’(悲しい響きですなぁ)の信念。彼等は「自己の聡明さを証明するための圧 倒的要求」に従い、その結果、貧乏籖を引くのである。

[注] 本書に紹介されている法則としては、後掲の「クモの巣構造の 法則」「悲観論逆説の法則」など思わず納得の法則が幾つか。成功秘訣本の洪水の中で、ようやく出会えた実証的一冊であった。


(曲軒・山本周五郎)

「女は同じ」の法則(発見者:山本周五郎)

ある意昧では、女はすべて同じようなものだ。

[解釈] 時代小説の巨峰・山本周五郎の短編『女は同じ物語』の冒頭で、父親が主人公の息子に向かってしみじみ と言う言葉。ユーモア溢れるその一節を少し長いが引用する。

 「竜右衛門がその息子に言った、『どんな娘でも、結婚してしまえば同じようなものだ、娘のうちはいろいろ違うように見える、ある意味 では確かに違うところもある、が、ある意味では、女は全て同じようなものだ、おまえのお母さんと、枝島の叔母さんを競べてみろ、―― 私は初めお母さんよりも、枝島の、……いやまあいい』と竜右衛門はいった、『とにかく、私の意見はこれだけだ』

 さすが、名人芸を思わせる練達の文章(ただし、少しくどい気もするが)。人生に少し疲れた城代家老としっかりものの妻女、そしておっ とりしたその息子、といった山本‘滑稽もの’の典型的パターンが、短い文章の中に鮮かに浮かび上がる。
 そのあら筋は――家庭内で絶対的権力を持つ母のさしがねで、広一郎の身のまわりの世話をすることになったしとやかな町娘こそ、実は 昔、お転婆だった許嫁・安永つなの変貌した姿であり、それとは知らすに惹かれた彼は、彼女とめでたく結ばれる、というもの。そして末 尾の一節で締め括り。

 「広一郎はおちついて言った、『仰しやるとうりでした、女は同じでしたよ』

 ちと、あざといところもあるが、やはり水際立った仕上がりといっ てよかろう。そしてこの手の「女は同じ」テーマの佳品としては『しゅるしゅる』、『主計は忙しい』など何れもユーモアにくるんで女性 の不思議さを訴えているのであった。

[注] なお、山本自身の理想の女性像は『おたふく』に出てくる長屋の姉妹。その天衣無縫そして無私の 心こそ、曲軒・山本周五郎がこよなく愛したものである。ただし、その級友・今井達夫の証言では「女はみんな西洋好み」だとか。意外と屈 折した女性観の持ち主であることが伺えよう。


(巨泉氏の最新CD)

大橋巨泉の「全ては得られない」の法則(発見者:大橋巨泉)

You can't have everything.(何でも手に入れようとしてはいけない。)

[解釈]  英文を掲げたのは、大橋氏が当法則を教えられたのが、アメリカの友人からだったため。翻訳すれば 上記のごとく変哲もないが、行くところ可ならざるは無きが如き氏の「座右の銘」としては、些か意外の感があろう。ただ、年若い美人アイドルと再婚するにあたり子をつくらないと宣言して手術したり、人気絶頂のときTVの世界から潔く身を引 いてオーストラリアに隠棲したり、と、確かに「何でも手に入れようとしてはいけない」と思い定めた人の行動と見れば、納得がいく。 あの政界からの引退も、物議を醸しはしたが、こうした考えが根底にあっての決断だったのだろうか。

[注] 確か山口瞳氏のエッセイ(「男性自身」)に、大橋氏の勝負事への姿勢についての言及が あった。何事もスイスイ調子よく勝ってしまうタイプかと思っていたら、案に相違して、陰でコツコツと勉強して勝利をおさめるタイプで ある、という好意的な文章だった、と記憶する。大橋氏の、これもまた意外な一面、である(なお、氏が生涯の師と仰ぐ三人の内の 一人が、この山口氏であり、その著者『巨泉』で‘物事には両面があり、強者の論理が有れば必ず弱者の論理が有る’ことを教えてく れた恩人だと、告白して いる)。

(小椋氏の横顔)

小椋佳の「心身相反」の法則(発見者:小椋佳)

心は死のうとしても、身体は生きようとする。
 
[解釈] 
57歳で病を得た小椋佳が、自らの生を見据えた果てに思い至った「人間の本性は、 心より身体が優先」という発見。同じく病と生を見据えた芥川賞作家の僧侶・玄侑宗久との対話(’03/10 NHK教育テレビの特集で放映) で、自然と発せられた感慨である。なお宗久氏がそれに応えて、「太宰治は、言葉が身体を追い越していく、 と言いましたが、やはり言葉は身体を追い越してはいけないと思うんですね」と言っていたのも印象的であった。

[注]
 小椋佳は、’49年上野生まれ。都銀のエリートでありながら、歌手活動でも一家を成し、同世代から一つの理想的生き方として羨望の眼差しで見られていたが、’93年に「もう充分に勤めた」という言葉を残して、銀行を退職。その後は、音楽活動の傍ら、母校の東大専修課程に 再入学して哲学を学ぶなど、自分に忠実な人生を着実に歩んでいる(こうした自由な生き方が、また、同世代の羨望の的)。


(portrait by 荒木経惟)

「女は面食い」の法則(発見者:鈴木いづみ)

女は全員面食いなのだ。
 

[解釈] 
鈴木いづみは、ほぼ20年前に亡くなった(センセーショナルな!)エッセイスト兼SF作家。その名を囁かれることも稀となったので、改めてそのプロフィールをご紹介したい。
鈴木いづみ(1949〜86) 静岡県伊東市生まれ。高校卒業後、上京。モデル、女優となり、ロマンポルノの主役も務めた。そのかたわら、68年『小説現代』新人賞次席、69年『文学界』新人賞候補、と文筆にも才能を見せる。73年天才サックス奏者・阿部薫と結婚。辛口エッセイや異色SFでも人気を博したが、86年2月縊死。享年36歳。
作家・高橋源一郎氏は、最近新聞紙上で、鈴木いづみが「
70年代に、“退屈な現代”を予見して」おり、「まさに早過ぎたSF作家だった」と喝破したが、確かに彼女の描く人物は、現代の無気力な青少年像を先取りしていた感がある。編者はかつて、雑誌『SF宝石』に連載していたコラムで鈴木を取り上げ、「“辺境の惑星やエアカーの走り回る未来都市を、まるで原宿や新宿を歩くように闊歩する”違和感こそが、いづみSFの持ち味だ」と評したことがある。 宇宙人の子供を産んだ主人公は、「たいていの男には、ちょっとほれられた」と述懐するし、辺境の惑星で怪物(ベム)に出会った女船長は「戦うのさえ気持ち悪いのよ!」と言い放つ。この“日常感覚”と“SF的な設定”の落差こそが、いずみSFの独創だ、と思ったのである。
では、そんな鈴木いづみの名言をさらにいくつか。

・感受性が鋭くてしかも元気でいる、というのはむずかしい。
・頭のいい人物でなければ、男友だちのリストには載らない。
・比較は女の子の思想だ(だから下品なんだ)。
・速度が問題なのだ。人生の絶対量は、はじめから決まっているという気がする。


最後の言葉は、名エッセイ集『いつだってティータイム』の冒頭に出てくる。そして、そのエッセイ集の「あとがき」は、次の印象的な一言で締め括られるのである。
ありがとう。さようなら。

[注]
上記のコラムを書いた直後、ある作家仲間の集まりで彼女を見かけたことがある。鈴木が「男の好みは黒鉄ヒロシ」と言っていた頃で、白塗りの厚化粧と異様なオーラに気圧され、 ついに話しかけられなかった。今思えば、少しでも言葉を交わしておけば、と後悔しきり。


(1924-2012

「お金」の法則(発見者:邱永漢)

お金は、使わなければ、自然に貯まりますよ。
(中略)現に今でも、私は一円でも拾います。


[解釈] 
お金儲けの神様邱永漢が、コピーライター糸井重里との対談『お金をちゃんと考えることから逃げまわっていたぼくらへ』(この題名が、いかにも糸井流)で披露した名言。東大経済学部を卒業後、亡命先の香港からペニシリン等を郵便小包(!)で日本に送る商売を考案。それをきっかけに巨額の富を築いた人物の言とみれば、一層興味深い。この他、Qさんのお金に関する率直な物言いを掲げれば、以下の通り。
・お金の神様は、目が見えない(だから、
「運」のいい人にはかなわない、ということ。もともと人は「不平等」に生まれるのでアル)。
・事業というのは果樹園のようなもので、(中略)収穫するまでにかなりの時間がかかるんですよね。
・欲望をないものにしたがるのは(中略)サムライに要求されている資質なんですね(裏返せば、江戸時代までは“お金を汚いもの”とは見ていなかった、ということ)。
・「人間は、懐にお金がいくら入っているか、わかるような生活をするな」(これは、
さんのお母さんの言)
・「長患いに親孝行息子はいない」(これは中国の格言。故にさんは「呆けないうちに死んだほうがいい」と考えているそうな)
・お金儲けのヒントは、本の中にはない(そして、「東大で一生懸命に勉強したことは、何一つ役に立たなかった」とも言う。すなわち「全部自分でやらないとダメ」ということ)。
・苦境にあっても、不思議なことに奈落の底までは落ちない(だから、夜にクヨクヨと考えずに、早く寝て朝になってから考えた方がいい、と勧める。この考えを基に書いた本が『朝は夜より賢い』である)。
・各界で成功した人に共通していることは、
「思ったことはすぐにやる」ということ。そういう人は、人生が短いと感じているので、やると思い立ったら、その瞬間から始める。
・お金と縁があるようにするためには、お金を大事にしないとダメ。そうすると向こうもこちらを向いてくれる。

ここで、お金儲けのためには
「仕事」をしなければいけない訳だが、この「仕事」についての蘊蓄も、蒙を啓かれる。
・本当にやりたいと思ったことで成功する人は少ない。その次くらいと思って選んだことで成功したら、まぁ「よし」とすべき。
・その人の負担になることについて電話しない(逆に、その人のメリットになりそうなら電話する、ということ)。
・イヤな思いをして(仕事を)やることはない。人に利益をもたらしてあげていれば、どんなことでもいうことを聞いてくれる(たださんは、「面白いことをやる」といっても、世間的に見て、みんなから認められるものでなければならない、と釘を刺すことも忘れない)。
・やりたいことを本当に真剣に考える時期は……ぼくが観察していると、二七歳ですね(つまり、それまでは今の会社で我慢せよ、ということ)。
邱・糸井対談本)

以上の「仕事」についての考えを、「お金」の問題に絡めて対談相手の糸井氏は次のように纏めてみせる。
いちばん欲しいものは何かというと、単純にいえば「人」なんです。人間って、ものすごく値段が高いじゃないですか。(中略)能力のある人にとって何が楽しいかといえば、 理解しあえる仲間がいて、その人たちと同じ欲望を持てて、しかもその欲望が、麻雀をしているかのように気持ちがよくて、というのがいちばんの動機になるわけですから。 そういう人に払いたいからお金を欲しい、ということでなら、ぼくは本気でお金を欲しがれる

また、お金とは直接関係はないが、邱さんさんは有名な美食家でもある。そこで、料理に関する名言をひとつ。
・料理というのは舌で覚えるもの。
奥さんは、台湾の財閥(日本の「武田薬品」みたいなところだとか)の娘で、料理などしたことはなかったが、結婚してから“おいしい味を舌で覚えて”直ぐに上手になった、と言う。因みに、氏編集の「香港観光ガイド」に教えられて行った
「福臨門」という高級中華料理店の“塩魚の炒飯”は絶品でした。
脱線ついでに言えば、小説家としてのQさんは、『香港』で外国人初の直木賞を受賞するほどの実力の持ち主。ただ長編『ズルきこと神の如し』では、自らを実名で登場させながら、主人公・妻木に「小説家としては下手クソ」とこき下ろさせていたりする。この自己批判精神もまた、Qさん流である(なお、この小説は、主人公・妻木捨郎が、一介のサラリーマンから政治家の秘書になり、多くの女性にモテた挙句、地方財界の大物の娘を嫁にする、という立身出世譚である。ただ、その主人公のキャラクターが独特で“冷淡であることが魅力”であるというあたりは、邱氏自身己の資質を見極めた上での設定であろうか)。


[注]
 このほか、成程と思った「お金」についての名言を二つほど。
・お金は低きに流れず。金のある方に流れる。(田中貴子・甲南大教授)
・お金はやせ我慢。(河村たかし・名古屋市長)
前者はQさんの言「お金を大事に」、後者はQさんの母親の言「懐にいくら入っているかわかるような生活をしない」に相通ずる考え方である。

Qさんの珍しい小説)