対人魅力の法則(発見者:フェスティンガー、ライアンズ、ウォルター&ダイオン、バーン&ネルソン、モアランド等) 人が他者に対して好意を抱くようになる条件には、 @他者要因(他者の性格、身体的魅力)、A相互作用要因(@近接性、A熟知性、B類似性、C相互補完性、D報酬性)、B自己要因(自分の性格や感情状態)があげられる。
[解釈] 対人認知の大きなテーマである“人はどのような他者に好意を抱くのか”については、諸説紛々であるが、一応のまとめを掲げてみた。
現代屈指の心理学者ハンス・アイゼンクが、同じ心理学者の 息子マイケルの協力を得てまとめた実証的、かつ視野の広い名著であった。 |
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ダイエットの法則(発見者:中村紘一郎、田上幹樹他) カロリーを摂らなければ、痩せられる。 [解釈] 数多いダイエット本を読み漁った結論が、これ(それらの本に出てきた変身体験談の中で「私と肥満
は姉妹のようでした」という告白が泣かせた)。『太った奴ほどよく痩せる』(久保田登監修)、『水を出せばみるみる痩せる』(西田
達弘著)、『もっと美しく痩せられる』(川崎亨二著)等一般の痩身本は、無駄なエネルギーの燃焼方法に頁を割くが、こうした‘適度
な運動’は決して痩せるための決め手ではない。それよりも、肥満のもととなるカロリー摂取を制限すること、これこそがダイエットの
王道なのである。以下、そのポイントをあげれば―― [注] この肥満が過ぎると糖尿病になるが、その症状は@肥満により血液中の糖度が上がりインスリ
ンの分泌低下&[糖を体内に取り込めない]インスリン抵抗性大→A糖が尿に排出し多尿・喉の渇き・空腹感(さらに、激痩セ)→B糖が蛋白と
結合してコラーゲン繊維が糖化し、最小血管障害から網膜症や高血圧発症、という経過を辿るとされる。 【朝】ご飯1杯・納豆・味噌汁/トースト1枚・りんご1個 という具合。因みに、ビールは小ジョッキ1杯でご飯小盛一杯に相当し、付き合い以外はお止めになった方がよろしかろう。(とは言って も、こうした献立及び禁酒を続けるのは、なかなかに至難の業。それに、こうした食事療法によりストレスが溜まると、大量のアドレナリ ンが分泌。その結果インスリンの分泌が抑制されて、かえって血糖値が上がったりするんだそうな。まこと、手強い「生活習慣病」なのであっ た。) |
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脱力の法則(発見者:ひすいこたろう) 人は、力が入っていないときに、最大の能力が発揮される。
[解釈] 天才(自称)コピーライターひすい氏が、イチロー選手のケガをしない秘訣から発見した逆説的な法則。 |
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タルコフスキーの「自然は人工的」の法則(発見者:タルコフスキー) 一見自然に見えるようにするには、巧みに巧む必要がある。
[解釈] と言っていたかどうか、実は知らないのだが、 晩年の傑作「ノスタルジア」
の冒頭シーンなどを観ると、その感が深い。
すなわち、美少女とその弟が朝霧の中に立ち尽くし、霧の向こうにはうっすらと納屋と白馬、そして満月が浮かんでいるシーン。
この懐かしいような光景が、実は全て周到な演出(月は吊るされ、霧は煙を炊いたもの)だったとは!
黒澤明が「椿三十郎」で、家老宅の庭の椿を(白黒映画で)赤く見えるように全て黒く塗った、というエピソードを思い出す。CGのない時代、東西映画界の巨匠は、画面があくまで“自然”に見えるよう、手間を惜しまず巧みに巧んだのである。 |
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チェスタトンの「逆説」の法則 (発見者:G.K.チェスタトン、高山宏) 実生活は部分的には芸術的だが全体としてはそうではない。芸術作品の破片の寄せ集めのようなものが実生活である。
氏はこの書の中で“チェスタトンの逆説“に一章を割き、「現実を、その曖昧、その多相性において受け入れる境位こそパラドキシスト(←つまり、チェスタトン)たちの眼目とするところであった」(「病患の図表」)と喝破する。「逆説」を克服するには、現実の“曖昧・多相性”をそのまま受け入れることが何よりも肝要なのである。 |
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徒然草の「狂人」の法則 (発見者:吉田兼好、丸谷才一) 狂人のまねとて大路を走らば、則ち狂人なり(狂人のまねだといって大路を走ったら、そのまま狂人だ)。
「愚人は賢人を憎み、あれは偽善者だなんて言ふけれど、でもそうかしら。狂人の真似をしてメイン・ストリートを走れば狂人である。(中略)偽ってでも賢人の真似をすれば賢人である」 |
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疲れの法則(発見者:吉竹博) @少し疲れたら、少し休め。 A疲労回復のためには今まで活動しなかった部分を活動させよ。
[解釈] 健康心理学者・吉竹博士の提唱する2大法則。‘疲れ’という正体不明の病気(精神医学では、疲労と鬱病
の症状は同じ、という定説有り)に、一つの照明を当て得た、という意味で貴重な発見であった。
なお、こうした‘疲れ’を表現した代表的文章として、辻邦生の短編から次の一節を掲げたい――「ひどく疲れていた。疲れていたという 以外に、私は何を感じられたろう。」(『見知らぬ町にて』冒頭の一節) 故郷を遠く離れたエトランゼの‘旅の疲れ’を表現して、鮮やかである。 |
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(このコーナーでは、古今の大哲学者の学説の要諦を無謀・・にも数十行で概説してしまいます。なお、全く編者の手に 負えなかった難解な哲学への理解のキッカケは、市井の思想家・木原武一氏の「哲学からのメッセージ」(新潮選書)という明快な解説書 に拠るところ大であります。興味のある方は是非ご一読を。) ◆Kant,Imanuel(カント、イマヌエル) 1724-1804 ドイツ ◎遠くスコットランドの血を引く馬具商人の息子。母は敬虔派教徒。プロイセンの東北国境に近い「ケーニヒスベルグ」生まれ。この都市から
1マイルと出たことがないことから、「ケーニヒスベルグの哲学者」と呼ばれる。身長157センチ。頭部が大きく、胸部は扁平。 髪は金髪で、その
目は天の精気を帯びる(ヤッハマン)と称された。 @先験的感性論(この発見をカントは、「コペルニクス的転回」と呼んだ。)…認識とは、感性を通じて得た情報(これを「質量」と呼ぶ) を悟性が
「カテゴリー」という篩にかけることによって、対象が何であるか解ること、である。――お解りかな? つまり、外界の事物は、人がそれを認
識して初めて存在となる、ということ。ここでカテゴリーとは、経験を越えた先験的なもので、量・質・関係など合わせて12個有るそうな。 ◆Kierkegaard,Sφren(キルケゴール、セーレン) 1813-1855 デンマーク ◎憂愁の哲学者にして、現代実存主義の祖。厳格かつ反キリスト的父親の下で育ち、その反撥から真のキリスト者を目指す。ために最愛の女 性・レギーネとの婚約を破棄、また旧来の陋習にあぐらをかいた教会に挑戦し、当時の大衆から激しい非難を浴びる。その闘争の最中路上 で倒れ、42才の短い生涯を終えた。そのとき、彼が引き継いだ莫大な遺産は、全て使い果たされていた、と言う。 ●主著『死にいたる病』冒頭の、あまりに有名な一節――「自己とは、一つの関係、その関係それ自身に関係する関係である」 この一 見無意味な同義語反復に、キルケゴールの切実な声を聞き取ること、これが評者の記念すべき「哲学体験」の最初であった。分かりやすく するため、英語訳を掲げる。 The self is a relation which relates itself to its own self. 即ち、自己とは、精神的な働きかけである、とキルケゴールは言う。そして、その働きかけとは、精神的働きがその働き自身に働きかけるとい うことである。ここで、その働きかけは、本来の自己になる意志を持つ筈である―― この「筈である」という言葉には、確かに論理の飛躍がある が、これこそがキルケゴールの祈りにも似た論理、なのである。そして、‘働きに働きかける’と言うパラドキシカルな表現によって、「自己」 という定義し難いものを、かろうじて自律的に発生させている点に、この文章の工夫がある。 ◆Nietzsche,Friedrich(ニーチェ、フリードリヒ) 1844-1900 ドイツ ◎「ダーウィンの子供、ビスマルクの兄弟」と称される19世紀末の「超人」哲学者。45歳のとき発狂。友人オ−ヴェルベックは「ひじ でピアノを叩くニーチェを彼の下宿に見出す。以後、母と妹の看護の下10年間生き永らえて死去。狂気の縁で、妹・リサベータ に語りか ける彼の言葉は我々の胸を打つ。「リサベータ、なぜ泣くんだ。我々は幸福じゃないのかい」 或いは「あゝ、自分もまたいい本を書いた」。 @エゴイズム…その独特のエゴイズム観は、まず己の才能を信ずることから始まるが、その場合重要なのは、才能を「繊細に」聞き分け
る耳が必要、だということ。生半可な覚悟では、真のエゴイストにはなれないのである。 [注] @の「運命愛」について、現代日本の異端哲学者・中島義道は「私に起こったことすべてを‘私の意志がもたらしたもの’として捉えな
おすことだ」と解釈する。いま孤独に陥っている人も、それが実は自らの所業により選び取られたものだ、と考えること。さすれば、砂を
噛むような孤独も少しは癒されるのではないか、と中島は(そしてニーチェも)言うのである。 ◆Hegel,Georg Wilhelm Friedrich(ヘーゲル、ジョージ W.フリードリヒ)1770-1831 ドイツ ◎学生時代の評価は「才能のある人格者だが哲学には何ら才能がない」というもの。友人たちは、生気がなく土色で締まりのない顔つきの 彼を「老人」と呼び、後の大哲学者を予想したものは一人も無かった。しかし後年、その名声は「ゲーテが文学界を支配し、ベートーベンが音 楽界を支配した如く、ヘーゲルは哲学界を支配した」と評された。身長約167センチ。41歳で21歳年下の貴族の娘と結婚、「わたし の地上の目的は達成した」とまで手紙に書く喜びぶりであった。ベルリンにコレラが流行した時、いの一番に感染して僅か1日の患いで( 多分あまり苦しまずに)死去。哲学者にしては、幸福な人生である。 @絶対知…ヘーゲルにとって「自分自身を自分の世界として、また世界を自分自身として意識する」ことが、まず重要。そして「世界と
自分について完全に知る]こと、即ち「絶対知」の状態へ至ることが、人生という旅の目的である、と説く。 以上@〜Bを大胆にまとめれば「理性的であるものこそ現実的であり、現実的であるものこそ理性的である」ということ。そして、この
「理性と現実は一致すべきである」というのが、ヘーゲルの断固たる主張なのである。 |
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「敵」の法則 (発見者:J.ベリー、葉室燐 ) 自分の敵として行動する人間を見つけることが、おのれを知る最良の方法である。
藩主から10年後の切腹を命じられながら、 幽閉先で粛々と家譜編纂に携わる主人公・戸田秋谷。彼は自らの思いを次のように語る―「忠義とは、主君が家臣を信じればこそ尽くせるものだ。されば、主君が疑いを抱いておられるのなら。家臣は、その疑いが解けるのを待つしかない(中略)疑いは、疑う心があって生じるものだ。弁明しても心を変えることはできぬ。心を変えることができるのは、心をもってだけだ。」 |
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「同時に二つのことをする」法則 (発見者:E.C.チェリー) 人は、非常に似通った二つの活動を同時に行うのは困難である。ただし、集中的・持続的な練習により、同時に二つのことを行う能力を高めることは可能である。 |
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「同調と服従」の法則 (発見者:S.E.アッシュ、S.ミルグラム) 人は、他者が全て同意見の場合、その意見に合致するように自らを変化させる(=「同調」)。また、権威者による命令などの社会的圧力により、容易に自らの意志に反した行動をとる(=「服従」)。
次の「服従」実験は(ミルグラムがユダヤ系アメリカ人であることから)、 ヒットラーのユダヤに対する残虐行為が実はどんな人間も持つ性向である、という仮説を立証するために行われた。ニューヘブン近住の20歳から50歳のごく一般的な(郵便局員、教師、セールスマン等の)男性が集められ、「罰が暗記学習の向上に有効かを調べる実験」というウソの説明をされる。そして被験者を「先生」役にし、サクラを罰を受ける「生徒」役に仕立てた。被験者は別室に控えさせられ、サクラの「生徒」が間違えるたびに監督者より電圧を上げて電気ショックを与えるよう命じられる。そのレベルは、195ボルトで「非常に強いショック」、315ボルトで「極度のショック」、そして435ボルト以上では「×××(つまり致死レベル!)」と表示されていた。実験前の予想で、心理学者は195ボルトまでにほとんどの被験者が拒否するだろうとし、また学生たちは最後(450ボルト)までスイッチを押すのは100人中3人以下だろうと考えた。ところが実際の実験結果は、450ボルトの最後までスイッチを押し続けたのは、40人中26人の65%と、予想をはるかに上回ったのである。この結果に衝撃を受けたミルグラムは、監督者の服装、実験の場所等、条件を色々変えて繰り返し実験を行ったが、 「服従」を低くする条件は見つからなかった、という。人間は、ヒットラー政権下のドイツでなくとも、かくも命令に弱いのである (後掲「『役割の内面化』の法則」を参照)。 [注] ドイチェとジェラルドは、上記のような行動が起きる理由として、@人は正しく反応したいと願い、 そのため他者の情報を有用と考える(「情報的影響」)、A他者から好かれたいと願い、そのため規範から逸脱しないよう努める(「規範的影響」)を掲げている(1955年)。 人は、他者から隔絶するより平凡であることを願うのである。 |
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「時は癒す」の法則 (発見者:ひすいこたろう) 悩みは勝手に無くなる。
・未来から逆算して、現在の行動を決定することが、
成功の秘訣である。 …これは、「マーフィーの法則」で言う「成功した自分を想像せよ。さすれば、成功する」に通ずる考え方といえる。 ・長生きするタイプの人の共通点は、「友人の数の多さ」である。…これは、前掲「クモの巣構造の法則」に通ずる考え方。喫煙、飲酒、経済状況、ストレスといったことは、人の寿命に、思ったほど大きな影響力を持っていない。 |
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