(1922-2001)

山田風太郎の「善人面食い」の法則(発見者:山田風太郎)

善人は女性を選ぶのに、顔の美醜を以てする。

[解釈] 明治ものの中では諧謔味の濃い『侍よ、さらば』で披露される、女性分類法。人の性は皆善だと信ずる、純真な浪人の女性観、である。心が皆同じなら、後はうわべの顔の美醜で人を判断するしか無い、という理屈。山風一流の巧まざるユーモア、である。
 なお、山風作品のもう一つの特徴である‘性’についても、自ら「滑稽なもんだという意識、それだけですね(中略)組んずほぐれつだから」と述懐。自らの死すら冷厳に見つめる老作家の、素っ気無い口吻が印象的であった。

「外道忍法帖」佐伯俊男画
[注] 山田風太郎は現代文学界の最後の大才。故・高木彬光に‘天才・風さん’と評され、筒井康隆(「大変な先駆者」)、平岡正明(「偉大な相貌」)、中原弓彦(「柴田錬三郎、司馬遼太郎に匹敵」)といった信頼できる後輩達から、最大級の賛辞を奉られていた別格の作家であった(平成13年7月28日、惜しまれつつ逝去)。
 なお、膨大な忍法帖からベスト・スリーを選ぶと――中原弓彦は「長いものほど良い」として『柳生』『魔界転生』、そして番外に『外道』の秀抜な落ちを推薦する。大井広介は「だいぶ忘れた」と言いながら『魔界転生』と『外道』を思い出す。高木彬光はどの作品も素晴らしい、と言いながら特に『魔界転生』『風来』『信玄』と『妖説太閤記』を挙げる。また平岡正明は、山風を中国の文人金世嘆に模した後『妖説太閤記』を絶賛する。
 ここで編者の好みは世評高い『柳生』『妖説太閤記』の二編、それに『信玄』の完成度を加えてベスト・スリーとしたい。
[参考]
 「山風忍者人名録」(『別冊新評 山田風太郎の世界』昭和54年夏号)


「役割の内面化」の法則(発見者:ジンバルド)

人は社会的役割を与えられると、監視下になくともその役割を演じ続けることがある。

[解釈] 前掲「『同調と服従』の法則」でみたように、人は「集団」の中で影響される生き物であるが、実はある役割を与えられると「集団」の監視下になくともその役割を演じ続ける、という性向も認められる(これを「役割の内面化」という)。このことを示したのが、有名なP.ジンバルド「スタンフォード大学の拘置所実験」である。1日15ドルで集められた20人の心身ともに健康な市民が、10人ずつ囚人役と看守役に分かれ、ジンバルドの務める「総督」役と学部生の務める「部長」の下で、大学地下の模擬監獄での生活を営んだ。実験が進行すると互いの「役割の内面化」は予想外に激しく、2日目には囚人の半数が、抑うつ、号泣などの症状を示して「釈放」され、6日目にはついに中止せざるを得なくなった(実際には、ジンバルドの婚約者ミス・マスラックが、監視付きで洗面所に向かう囚人達の様子を見て泣き出し、そのためジンバルドが軟化したのだ、と言う)。ここで、看守の囚人に対する攻撃は「総督」や「部長」の目の届かぬ所でより顕著であり、その行動が「同調」や「服従」でなく役割の「内面化」によることは明らかであった。その原因の一つに、囚人を番号で呼んで「アイデンティティ」を喪失させたことが挙げられ、ジンバルドは後に、この実験を発展させた「脱個人化の理論」(自らをあるカテゴリーの成員として捉える、という考え方。例えば、お風呂に入りながら「自分=日本人は風呂好きだなあ」と思う等)を構築するに至る(1969年)。

(映画「ドッグヴィル」)

[注] ここで思い出したのが、N.キッドマン主演の映画「ドッグヴィル」。デンマークの鬼才ランス・フォン・トリアー(かの、ビョーク主演の怪ミュージカル「ダンサー・イン・ザ・ダーク」の監督デス)のメガホンにより、地面に描かれた書割(!)に従って俳優たちが極限の演技を強いられる実験映画、である。周囲と隔絶した村という設定にかこつけて(?)、トリアーは俳優たちを一箇所に閉じ込め現実と演技の区別がつかなくなるよう仕向ける。その結果俳優たちは、村民に苛められるキッドマンも苛める村民役の俳優達も、その「役割の内面化」に耐えられず、精神に深い傷を負っていく。撮影が終わった時、誰もが「現場を離れるのがうれしかった」という究極の芸術作品であった。


(1889-1936)

夢野久作の「探偵小説優位」の法則(発見者:夢野久作)

近代の文学は総て探偵小説である。

[解釈] 骨太の異才・夢野の、自らの探偵小説に対する覚悟のほどを示す一言。即ち、現代の文学には科学的精神が不可欠であり、その科学的精神には「探偵本能」の発露が必須、ということ。かくて夢野は「この故に探偵小説は現在の如く、ほかの芸術のアパートに間借りして、小さくなって生活すべきものではない」と主張するのである。
 そう言えば、ドストエフスキーの『罪と罰』、H.ジェイムズの『アメリカ人』、ノサック『弟』、フォークナーの『アブサロム、アブサロム!』等、近代の優れた文学は必然的に推理小説にならざるをえぬ、という説もあった。

[注] 夢野の代表作と言えば“幻魔怪奇探偵小説”と銘打たれて発売された『ドグラ・マグラ』。その巻頭歌――「胎児よ/胎児よ/何故踊る/母親の心がわかって/おそろしいのか」――は、未だ読者の脳裏に焼き付いて離れない。そのテーマを、思い切って簡単に言うと、人間は胎児の時、人類の過去の進化の記憶を追体験しているのだ!というもの。 なお、前掲「マーフィーの法則」の楽観的ヴァリェーションとして‘私の肉体とその器官 のすべては、私の潜在意識の中にある無限の知性によって作られたもので’という信念があるが、このアメリカ功利主義の代表と夢野の東洋 的思想が、どこか似通っているところが面白い。


啓蒙本「解剖学個人授業」

養老孟司の「2元論」の法則(発見者:養老孟司)

人間は、‘脳’と‘身体’の2元論で捉えねばならぬ。このとき、‘脳’は「共通性」と「不変」を希求し、‘身体’は「個性」と「変化」を希求する。

[解釈] ベストセラー『バカの壁』の著者養老先生の「人間科学論」の要諦。
 最近喧しい個性教育などは見当違いであり、人の個性はそうして教育される‘
’にあるのではなく、むしろ‘身体’にこそ備わったものだ、と著者は言う。すなわち、‘’は本来「共通性(=普遍性)」を限りなく追求するものであり、逆に‘身体’は、天才肌のイチローや長嶋の身体の如く、ひたすら「個性」的であろうと努めるのである。
 もう一つの大きな違いは、‘
’が自らを‘自分自身’と認識するために、かつての自分と現在の自分には何ら違いは無く(所謂「自己同一性」)従って「不変」である、と信じ込もうとするのに対し、‘身体’の方は、細胞が時々刻々生まれれ変わっている故に、常に「変化」し続けていることを実感している、という点。古人の言った「朝に道を聞かば、夕に死すとも可なり」というのも実は、日々刻々自らが変化しているということを悟れば(これ即ち「道を聞く」の意)、その変化の果ての「」も受け入れることができる、という意味なのであった。そしてこの「変化」を実感するためには、重病を宣告をされた人の世界観の変化を想像せよ、と著者は言う。宣告の前後で、患者の眼に映る世界は全く変わった相貌を帯び、一瞬の間に自らが変化したことを実感する筈である。
 なおこの2元論は、話を頭の中に限れば‘
意識’対‘無意識’の対立になるし、社会にまで広げれば‘機能主義’対‘共同体’の対立、ということになる。ここで著者は、我々現代人が、前者のグループ、即ち‘’‘意識’‘機能主義’を重視するあまり、後者のグループ、即ち‘身体’‘無意識’‘共同体’を蔑ろにし過ぎた、と主張する。その相反する要素をバランス良く保つことこそが、古来称揚された「知行合一」や「文武両道」への道なのである。

[注] 著者は人間の行動を説明するのに、次の一次方程式を用いる。
       
y(外界への出力)=a(脳の働き)x(外界からの入力)
 これは外界からの刺激・情報(x
)に対し、脳が判断(a)し、その結果、外界に対し一定の反応(y)を示す、という行動モデルを意味する。ここでaが「0」となる時、頭は働いていても‘どうどう巡り’状態で、外界に行動がアウトプットしないことになるが、この状態こそ頭脳優先の現代が直面する危機的状況なのである。この式はまた、前掲「『ゼノンの逆説』の法則」で指摘した「思弁は現実に届かず」の現代的ヴァリエーションとも言え、さらには「メイ・サートンの『肉体』の法則」の「聖なる肉体」という発見をも包含している。またそれは、天才ヴィトゲンシュタインの主著『論理哲学論考』の最後の一節――「語りえぬものについては、沈黙せねばならない」――にも相通ずる深い思索でもあるだろう(この方程式が何やら、中松博士の「人間関係方程式」に似通っているのも、興味深い)。
 なお 養老先生は、編者の中学・高校の11年先輩。現在のところ編者がようやく辿りついた最も重要な「法則」の一つを、この大先輩が遥か以前に喝破していたと思えば、些か感慨深いものがある。


吉本隆明(1924-)

吉本隆明の「人生」の法則(発見者:吉本隆明)

@わからなくて迷っているときは、「生き急がず」、「少し待て。のんびりしろ
A乳児期の
1年間母親の子供への接し方が、その人の人生への考え方(肯定的か否定的か)を決定する。

B先進諸国では、親はその稼ぎの40%程度を子供の教育に充て、結果として、子供のために生きていることになる。
C“老いること”は死の軌道に入ることで、そこから脱出するには
@.生を「
こまかく刻む
A.死(の前後)は、他人のものであって
自分のものではないと考えよ。

[解釈] 吉本氏は、御歳84歳の在野の思想家。我が国思想界の極北に位置する“最後の哲学者”である(フォークで言えば吉田拓郎といった凄い例えもありマス)。
そんな吉本氏が、最近矢継ぎ早に発表しているエッセイ・対談から、『人生』を深く考えさせてくれる諸法則を掲げてみたい。

@例えば、あなたが団塊世代として、リストラに遭ったり、閑職に追われたりした場合、その社会的状況にせっかちに対応するのはよくない、と氏は言う。 すなわち、急げば急ぐほど焦り気味になり、泥の中に足を突っ込むようなことになりがちで、そんなときは意識的に
自分のテンポを遅くしていくのが良策なのである。

太宰治 1909-48

A人間とチンパンジーの違いは、人間は母親の胎内から“早く出てきちゃう”こと。そうした乳児は、自ら栄養を摂ることができないため、誕生後1年間は母親に全面的に依存せざるをえない。その間、無意識領域のぎりぎりの部分(これをフロイト的には「核」と言う)に、母親の持っている「文化的水準」・「感覚」・「心の構造」等が刷り込まれるわけ。 三島由紀夫(母親から離されて祖母に育てられた)や太宰治(同じく乳母に育てられた)は、その乳児期の母親への喪失感から「生きるな」と刷り込まれることになり、ついには“自死への途”を歩まざるを得なかったのである。

B
わが国の子供の教育費(家計におけるこの比率を、エンゲル係数ならぬ「エンゼル係数」と言うそうナ)は、明治18年から昭和16年までの1世紀の間に、GNP(国民総生産)の82倍に比し、なんと300倍に増加していると言う。この桁違いの増加が教育水準の高さとなり、我が国を世界に冠たる経済大国にしている訳だが、一方で、我々の生きる目的は「子育て」にある、といった考えを産むことにもなる。これは、個体の生きる目的は自らのDNAを残すこと、といった生物学的考え方にも通じ、変に納得させられる説ではある(と言っても、人生のすべてが子供のため、という考えには、幾分釈然としない感じも残るが…)。

C
吉本氏は、自らの体験から「歳を取るということは、スムーズなものではなく、
段階的である」と言う。つまり、老いは「ガタリと来る」ということ。そしてその“老い”の先に“死”があるのだがが、そこで人は「俺はもう生きていたっていいことは何もねぇんだ」と考える「死の軌道」に入ることになる。こうした現実に直面した老人は、例外なく鬱病になり、かつ心身症であると言える。では、その「死の軌道」から脱出するためにはどうすればよいのだろうか?
 その脱出法の1つが、
「こまかく刻むこと」だ、と氏は言う。感情なり時間なりを小刻みに刻んで、「今日は同僚と喧嘩した」とか「美人とすれ違った」といった瞬間瞬間を実感することによって、半分ぐらいはその軌道から外れることができるのである。
 もう1つの脱出法は、
「自分の死は自分の手にはない」と考えること。死の本当の前後は、だいたいは自分ではわからなくなっていて、他人の手にゆだねられているのが殆どだ、ということ。自分には「痛い」と思えるだけの意識はもう無いと思った方が いいのである。
 この「死ぬときは痛みがない」という考えを医学的に言っているのが、前掲「患者の法則」の高柳和江先生。かくて、思想的にも医学的にも“死は苦しくない”のだととしたら、かの
モンテーニュの逆説―「生きている間は死を思い煩う必要はない」―も、あながち詭弁ではないのかも知れぬ。

大塚英志氏との対談

[注] この吉本氏の“人生の見事なダイジェスト”に触発されて、編者なりの人生の法則を考えてみる。名づけて、ライフ・ダイジェスト流『一瞬の法則』
@人生はStep by Step
―目標を短期・:簡単なものとして、まず第一歩を踏み出すのが肝要、ということ。これは「『心のブレーキの外し方』の法則」で石井氏が言う「潜在意識を慣れさせる小さな一歩」に通じ、また吉本氏が「死の軌道」脱出法として勧める「こまかく刻むこと」にも繋がる。
A肩の力を抜け―守備の達人・イチローの心構え(『脱力の法則』)は、人生にも通ずるということ。また、人生の達人・吉本氏が団塊世代に贈った言葉―「自分のテンポを遅くすること」―もその応用である。
そしてこれらの法則を日頃活用するため、編者は事に当たって「一瞬」という言葉を繰り返すようにしている。
まずは
一瞬の努力」
。この言葉のリフレインにより、少しづつ“準備”し、取り敢えず一歩踏み出してみる。そして事に当たる直前には「一瞬の準備」と唱えてわずかに“努力”し、物事にスムーズに入っていけるようにする。それでも、“努力していない相手よりは、幾分か優位になれる道理である。さらに、実際物事を進める際には「一瞬の間」を置き、完璧な対応などマチガッても望まない。いわば、意識的に“テンポ”を後らせる呼吸で、相手の間隙を狙うのが得策ということ
以上をまとめるのにふさわしい言葉が、吉本氏と大塚英志氏の対談集の題名にあるのでご紹介しておく。すなわち―
「だいたいでいいじゃない」


(1923-1999)

ヨッサリアンの「背理法」の法則(発見者:J.ヘラー)

みんなと違うことをするのは愚かなことだ。

[解釈] ヨッサリアンは、ユーモア戦争文学の金字塔『キャッチ=22』に登場する“戦争嫌い”のアンチ・ヒーローである。著者ジヨーゼフ・ヘラーは、ニューヨーク生まれのユダヤ系アメリカ人。学生時代から抜群の秀才で、広告マンとして働きながら本書を8年かけて執筆。’61年に発売されるや8百万部を超える空前の大ベストセラーとなり、寡作ながらカリスマ的人気を誇った。

(「キャッチ=22」)

本法則は、その主人公ヨッサリアンが、上官に言い放った一言。出撃を拒むヨッサリアンに対し、上官は「だれもが出撃を拒んだら、いったいどうなるんだ」と迫る。そこでヨッサリアンは「その場合、わたしがみんなと違うことをするのは愚かなことでしょう」と答えるのである。みごとな切り返しだが、ここで上官が言葉に詰まる理由には少し説明が要るかもしれない,。
ここで注意すべきは、上官がヨッサリアンを説得するために使ったテクニックが「背理法」である点。出撃を拒んでいるのはヨッサリアン一人なのに、それを「みんなが出撃を拒んだら…」と究極にまで議論を発展させ、だから「ヨッサリアンの出撃拒否は問題なのだ」とする考え方である。しかし究極にまで議論を発展させれば、だいたい受け入れ難い結論になるのは当然なので、そこに気付いたヨッサリアンは、敢えて“極論(=みんなが出撃拒否)は正しい”として、それ故“私はみんなと違うと愚かなことになるので、出撃は拒否する”と主張したのである。すなわち「背理法」による証明は、“それは極論だよ”、“それは個人の問題でしょ”の2言で論駁され得る危うい証明法なのである。
勿論、うまく使えば効果的な説得法な訳で、例えばかの
カントは“全ての人が盗みを働いたら所有という規範が損なわれる”として“盗む”という行為を否定している。これは(言っている人がカントであることを割り引いても)説得力のある議論であった。
またこの論法を使った代表的な哲学者と言えば、前掲の
ゼノンであり、彼は“アキレスと亀”や“飛ぶ矢は飛ばず”のパラドックスにより、矛盾は「事象を無限に分割しようとしたために起きた」として、だから「物事は分割できないのだ」という背理法を展開している。で、何故このことに固執したかと言えば、彼の師のパルメニデスが「存在は唯一であり、分割できない」と主張していたからで、それを擁護するために数々のパラドックスを発明したんだそうな。ただこれも“極論だよ”と言われればその通りで、彼の師思いも若干空回りした感が否めない。

(1932―2000)
[注] 本法則とは直接関係がないのだが、この「キャッチ=22」の表紙を担当しているのが、 日本SF史を彩った画家・真鍋博 氏であるのも感慨深い。直線的なタッチの未来画を得意とし、 海外SF、星新一、筒井康隆などの挿画を手掛けた。自転車好きで、バイコロジーを提唱したイラストレーターでもあった。
(タイムマシン大騒動)

マイナーなSF作品で覚えているのは氏がイラストを手がけた作品が多く、K.ローマー『タイムマシン大騒動』(軽いタッチの娯楽SF)、R.シルヴァバーグ『時間線を遡って』(ニュー・シルヴァアバーグのタイムマシンもの)、J.T.マッキントッシュメイド・イン・USA』(アンドロイドものの艶笑SF)、A.ベスター鋼鉄の音」(「昔を今になすよしもがな」の題名でも翻訳。ベスターの代表的中編)、L.パジェットボロゴーブはミムジィ」(「不思議の国のアリス」を隠し味にしたミュータントもの)等が記憶に鮮やか。やはり一時代を画した才能であったと言えよう。