山田風太郎の「善人面食い」の法則(発見者:山田風太郎) 善人は女性を選ぶのに、顔の美醜を以てする。 [解釈] 明治ものの中では諧謔味の濃い『侍よ、さらば』で披露される、女性分類法。人の性は皆善だと信ずる、純真な浪人の女性観、である。心が皆同じなら、後はうわべの顔の美醜で人を判断するしか無い、という理屈。山風一流の巧まざるユーモア、である。
なお、膨大な忍法帖からベスト・スリーを選ぶと――中原弓彦は「長いものほど良い」として『柳生』『魔界転生』、そして番外に『外道』の秀抜な落ちを推薦する。大井広介は「だいぶ忘れた」と言いながら『魔界転生』と『外道』を思い出す。高木彬光はどの作品も素晴らしい、と言いながら特に『魔界転生』『風来』『信玄』と『妖説太閤記』を挙げる。また平岡正明は、山風を中国の文人金世嘆に模した後『妖説太閤記』を絶賛する。 ここで編者の好みは世評高い『柳生』『妖説太閤記』の二編、それに『信玄』の完成度を加えてベスト・スリーとしたい。 [参考] 「山風忍者人名録」(『別冊新評 山田風太郎の世界』昭和54年夏号) |
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「役割の内面化」の法則(発見者:ジンバルド) 人は社会的役割を与えられると、監視下になくともその役割を演じ続けることがある。 [解釈] 前掲「『同調と服従』の法則」でみたように、人は「集団」の中で影響される生き物であるが、実はある役割を与えられると「集団」の監視下になくともその役割を演じ続ける、という性向も認められる(これを「役割の内面化」という)。このことを示したのが、有名なP.ジンバルドの「スタンフォード大学の拘置所実験」である。1日15ドルで集められた20人の心身ともに健康な市民が、10人ずつ囚人役と看守役に分かれ、ジンバルドの務める「総督」役と学部生の務める「部長」の下で、大学地下の模擬監獄での生活を営んだ。実験が進行すると互いの「役割の内面化」は予想外に激しく、2日目には囚人の半数が、抑うつ、号泣などの症状を示して「釈放」され、6日目にはついに中止せざるを得なくなった(実際には、ジンバルドの婚約者ミス・マスラックが、監視付きで洗面所に向かう囚人達の様子を見て泣き出し、そのためジンバルドが軟化したのだ、と言う)。ここで、看守の囚人に対する攻撃は「総督」や「部長」の目の届かぬ所でより顕著であり、その行動が「同調」や「服従」でなく役割の「内面化」によることは明らかであった。その原因の一つに、囚人を番号で呼んで「アイデンティティ」を喪失させたことが挙げられ、ジンバルドは後に、この実験を発展させた「脱個人化の理論」(自らをあるカテゴリーの成員として捉える、という考え方。例えば、お風呂に入りながら「自分=日本人は風呂好きだなあ」と思う等)を構築するに至る(1969年)。
[注] ここで思い出したのが、N.キッドマン主演の映画「ドッグヴィル」。デンマークの鬼才ランス・フォン・トリアー(かの、ビョーク主演の怪ミュージカル「ダンサー・イン・ザ・ダーク」の監督デス)のメガホンにより、地面に描かれた書割(!)に従って俳優たちが極限の演技を強いられる実験映画、である。周囲と隔絶した村という設定にかこつけて(?)、トリアーは俳優たちを一箇所に閉じ込め現実と演技の区別がつかなくなるよう仕向ける。その結果俳優たちは、村民に苛められるキッドマンも苛める村民役の俳優達も、その「役割の内面化」に耐えられず、精神に深い傷を負っていく。撮影が終わった時、誰もが「現場を離れるのがうれしかった」という究極の芸術作品であった。 |
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夢野久作の「探偵小説優位」の法則(発見者:夢野久作) 近代の文学は総て探偵小説である。 [解釈] 骨太の異才・夢野の、自らの探偵小説に対する覚悟のほどを示す一言。即ち、現代の文学には科学的精神が不可欠であり、その科学的精神には「探偵本能」の発露が必須、ということ。かくて夢野は「この故に探偵小説は現在の如く、ほかの芸術のアパートに間借りして、小さくなって生活すべきものではない」と主張するのである。 [注] 夢野の代表作と言えば“幻魔怪奇探偵小説”と銘打たれて発売された『ドグラ・マグラ』。その巻頭歌――「胎児よ/胎児よ/何故踊る/母親の心がわかって/おそろしいのか」――は、未だ読者の脳裏に焼き付いて離れない。そのテーマを、思い切って簡単に言うと、人間は胎児の時、人類の過去の進化の記憶を追体験しているのだ!というもの。 なお、前掲「マーフィーの法則」の楽観的ヴァリェーションとして‘私の肉体とその器官 のすべては、私の潜在意識の中にある無限の知性によって作られたもので’という信念があるが、このアメリカ功利主義の代表と夢野の東洋 的思想が、どこか似通っているところが面白い。 |
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養老孟司の「2元論」の法則(発見者:養老孟司) 人間は、‘脳’と‘身体’の2元論で捉えねばならぬ。このとき、‘脳’は「共通性」と「不変」を希求し、‘身体’は「個性」と「変化」を希求する。 [解釈] ベストセラー『バカの壁』の著者・養老先生の「人間科学論」の要諦。 [注] 著者は人間の行動を説明するのに、次の一次方程式を用いる。 |
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吉本隆明の「人生」の法則(発見者:吉本隆明) @わからなくて迷っているときは、「生き急がず」、「少し待て。のんびりしろ」 [解釈] 吉本氏は、御歳84歳の在野の思想家。我が国思想界の極北に位置する“最後の哲学者”である(フォークで言えば吉田拓郎といった凄い例えもありマス)。
A人間とチンパンジーの違いは、人間は母親の胎内から“早く出てきちゃう”こと。そうした乳児は、自ら栄養を摂ることができないため、誕生後1年間は母親に全面的に依存せざるをえない。その間、無意識領域のぎりぎりの部分(これをフロイト的には「核」と言う)に、母親の持っている「文化的水準」・「感覚」・「心の構造」等が刷り込まれるわけ。
三島由紀夫(母親から離されて祖母に育てられた)や太宰治(同じく乳母に育てられた)は、その乳児期の母親への喪失感から「生きるな」と刷り込まれることになり、ついには“自死への途”を歩まざるを得なかったのである。
[注] この吉本氏の“人生の見事なダイジェスト”に触発されて、編者なりの人生の法則を考えてみる。名づけて、ライフ・ダイジェスト流『一瞬の法則』。 |
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ヨッサリアンの「背理法」の法則(発見者:J.ヘラー) みんなと違うことをするのは愚かなことだ。 [解釈] ヨッサリアンは、ユーモア戦争文学の金字塔『キャッチ=22』に登場する“戦争嫌い”のアンチ・ヒーローである。著者ジヨーゼフ・ヘラーは、ニューヨーク生まれのユダヤ系アメリカ人。学生時代から抜群の秀才で、広告マンとして働きながら本書を8年かけて執筆。’61年に発売されるや8百万部を超える空前の大ベストセラーとなり、寡作ながらカリスマ的人気を誇った。
本法則は、その主人公ヨッサリアンが、上官に言い放った一言。出撃を拒むヨッサリアンに対し、上官は「だれもが出撃を拒んだら、いったいどうなるんだ」と迫る。そこでヨッサリアンは「その場合、わたしがみんなと違うことをするのは愚かなことでしょう」と答えるのである。みごとな切り返しだが、ここで上官が言葉に詰まる理由には少し説明が要るかもしれない,。
マイナーなSF作品で覚えているのは氏がイラストを手がけた作品が多く、K.ローマーの『タイムマシン大騒動』(軽いタッチの娯楽SF)、R.シルヴァバーグ『時間線を遡って』(ニュー・シルヴァアバーグのタイムマシンもの)、J.T.マッキントッシュ『メイド・イン・USA』(アンドロイドものの艶笑SF)、A.ベスター「鋼鉄の音」(「昔を今になすよしもがな」の題名でも翻訳。ベスターの代表的中編)、L.パジェット「ボロゴーブはミムジィ」(「不思議の国のアリス」を隠し味にしたミュータントもの)等が記憶に鮮やか。やはり一時代を画した才能であったと言えよう。 |
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